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切り抜き詳細

発行日時
2016-9-20 2:31
見出し
[速+] 【三重】浄土真宗高田派・高田本山「専修寺」 仏教界の下克上記す、お堂や仏像…本願寺派・蓮如と対立、真宗の法灯集団©2ch.net
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記事詳細
■仏教界の下克上記す、お堂や仏像  戦国時代、下克上を起こしたのは武士だけではなかった。仏教の世界においても新勢力が台頭した。代表が浄土真宗本願寺派の蓮如であり、同高田派の真慧(しんね)だろう。  今回は、真慧が建立した高田本山専修寺(たかだほんざんせんじゅじ)がある津市一身田(いっしんでん)町を歩いてみたい。スタートは近鉄名古屋線の高田本山駅だ。駅を出たら、駐輪場の前を通り、最初の角を左折、駐車場がある角を右折し、広々とした田園風景の中を歩く。  浄土真宗高田派は、嘉禄(かろく)2(1226)年、関東で布教をしていた宗祖親鸞が、栃木県真岡市高田に専修寺を建立したのを起源とする。その後、10世の真慧が、親交があった蓮如率いる本願寺派に刺激を受け、東海、北陸の各地を精力的に布教し、一身田に高田本山専修寺の前身となる無量寿院を建立した。  毛無川に沿って歩くと黒門跡に着く。ここが、高田本山がある寺内町の入り口だ。寺内町とは、敵の侵入を防ぐために周囲を濠(ほり)で囲った自治都市をいう。東西450〜500メートル、南北400〜500メートル。ここまで完全な形で濠が残っているのは珍しいそうだ。道標が建つ銀行の角を曲がると、門前町の風情が残る町並みがつづく。伊賀屋跡を右折し、町家と寺院を区分する釘貫門を通り、高田本山の山門の前に立つ。  高田派は、後から入ってきた本願寺派と北陸の地で衝突。北陸を追われた真慧は、蓮如とは違う道を選択する。真慧は朝廷に近づき無量寿院を皇室の御祈願所にすることに成功。一方本願寺派は、武装化し、織田信長と対立した。  山門から境内へ入る。高田本山は、全国に600以上の末寺を持つ浄土真宗高田派の総本山で、現在の伽藍(がらん)は津藩の強力な援助によって整備された。国宝3件、重要文化財は御影堂(みえいどう)、如来堂、山門、唐門など13棟を数え、史跡としても第一級だ。まずは平成の大修理が行われた御影堂から。親鸞の木像を安置する780畳敷の大御堂だ。その迫力と精緻を極めた美しさに圧倒される。そして通天橋を通り、如来堂へ。ここには、高田派こそ真宗の法灯集団であることを伝える「証拠の如来」が安置されている。  今回のゴールは、寺町通りの東にある「一身田寺内町(じないちょう)の館」にしよう。1階が休憩室になっており、写真やパネル、復元模型によって寺内町の歴史や文化を知ることができる。  栃木の本寺が兵火によって炎上すると、歴代上人がここに居住するようになり、次第に一身田が「本山専修寺」として定着した。【長屋良行】 http://mainichi.jp/articles/20160919/ddl/k23/070/074000c
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